2014/08/14

第5冊 唯一の欠点は、ロシア系の名前が憶えづらいこと 『春風のスネグラチカ』沙村広明

「私がシシェノークの手を煩わせる事無く
土の上を動き廻ることなど絶対にあり得ません」



春風のスネグラチカ 沙村広明


『無限の住人』『ハルシオンランチ』等の沙村作品を
愛読してきた身としては、果たして今回はどんな……
と思っていたら、まだ「若い」ソヴィエト連邦を舞台にした、
歴史ミステリー!

いやぁ、色々引き出し持ってますねぇ。
で、ミステリー的な謎解きの部分に踏み込まずに、
ブンガク的な方法であえて読み解いて、頭イイ人のフリを
してイイ気分に浸ろうというのが、本記事の目的です(笑)。

「ソ連、世界史の時間に習ったよ」

……という言葉を十代の若者から聞いて、先日ちょっと
ショックを隠しきれませんでした。そういえば。
余談でした。

物語は1933年のソヴィエト連邦から始まります。
車椅子の少女とその従者の青年の正体は?
彼らがこだわり続ける共産党管理下の「別荘」に
隠された謎とは……?

……とミステリーとしても面白いのですが、
こんな最果ての地のブログですから、
上記のとおり、あえて本筋から外れた部分に着目してみます。


信仰の地下水脈


本作では、ロシアの持っていた宗教的伝統(ロシア正教)や、
オカルティックな知識・技能(チベット医学)が、「科学的」な
共産主義による統治下でひっそりと隠れて息づいている様が、
作品世界に奥行きを与えています。

私が趣味でやっている「システマ」というロシア生まれの
武術がありますが、その思想的ルーツはロシア正教だったようで、
ソヴィエト連邦統治下にあっては、やはり深く静かに、
受け継がれていたようです(今や世界展開中ですが)。

本作でも、宗教を否定されているソヴィエトの国民は、
ロシア正教を表向き捨てたことになっているわけですが、

「スープの肉を時々残しているようですが、
斎戒日を気にしておられますか?」
「!!…………いや、気にするわけがなかろう」

……と、引用したセリフですぐ分かるくらい、聞かれた
側のオッサンは動じてます(笑)

やはり、人間の信仰ってのはなかなか変えられない。
どこかで偉大なるもの、善なるものとつながっていたい
のでしょう。

私は、共産主義というのは、合理的な思考をとことん
突き詰めた末にできた考え方だとは思っていますが、
私が共産主義に感じる致命的な欠陥は、人間というものが
もとから合理的には出来ていないことを、勘定に入れて
いないことです(笑)。
 本作のメインキャラたちは、皆クセがあり、一見
とっつきにくい連中ですが、読み終わる頃には、何となく、
この連中が好きになってしまう。おそらくは、彼らの行動が
物凄く「人間臭いから」です。 合理性などくそくらえ。
「きれいはきたない」ってヤツです。

非合理でいいじゃない、人間だもの

共産主義社会というとっても「合理的なシステム」
の中で、彼らは自分たちのコダワリのままに、
とことん、非合理に邁進します。

「従者の手を煩わせないと動けない車椅子」に象徴されるように、
本作は、合理的なシステムの中で、人間の不合理さが、
ある種のしぶとさ、強さ、生命力として描かれています。

ミステリーとしてのネタがばれないように書くと、

「助けるべきでないものを助ける」
「追求すべきことを追及しない」
「崇拝するものを汚す」
「自らを虐げてきたものを助ける」

……といった塩梅。

そして、主従関係に思われたモノが実は……?
というのがミステリーとしてのキモでもあるのですが、
読んだ方ならお分かりの通り、この主人公二人は
関係性にしても考え方にしても合理性とは対極なのです。
だが、そこがいい、のです。

『ジョジョの奇妙な冒険』の荒木先生にならって言うなら、
本作もまた、 「人間賛歌」なのです。不合理で利己的で
泥臭くて目の前の相手のことを慮るので精いっぱいの
奴ら。

そんな奴らに会えるだけで、十分モトは取れる、ってもんです。


 

以下、蛇足です。
さらに本筋から離れます。

本作ではヒマラヤの薬草学というのが、ひそかに
重要な役割を果たしますが、19世紀末~20世紀初頭
というのは、欧米圏で東洋的なオカルティズムが
やたらと幅をきかせていた時代でもありました。

19世紀末には、オカルト好きにはたまらない、
ロシア出身のブラヴァッキー夫人が神智学協会を
ニューヨークにて設立。
20世紀初頭には、グルジェフが帝政ロシアに
チベット密教の秘儀をもたらしています。

オカルティズムの台頭は、
急速に合理的な思想・体制が組みあがっていく
時代の、 人間の非合理的な面の側のせめてもの
抵抗だったのかもしれません。

「だった」と書きましたが、この一世紀前の状態から、
実は状況はそんなに変わっていない気もします。

このへんも、また掘り下げてみたいと思います。

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