2014/08/14

第6冊 ゲーム脳は愛より世界を救う『ハイスコア・ガール』押切蓮介 



ハイスコアガール(1) 押切 蓮介

「待ちガイル!!」

ってフレーズが懐かしいあなたは、読んでますよね。
読んでませんか、読むべきです。

著作権をめぐるアレコレで取り沙汰
されていたので、つい読み返してしまいました。
ファネッフー。

ゲーム脳、もしかして凄いんじゃないですか

 

ゲームは時間の浪費だったんじゃないか?
青春をぜんぶゲームに吸われてしまった!

……なんて、思うコトなかれ。

浪費して何が悪いのです。
人生はヒマつぶしです。
そして、あれはまぎれもなく、青春だったのです。

 このブログだって、人生の重要な諸課題を
そっちのけで書かれています。なんの益もないのに、
ただひたすら自己満足のために(笑)。

1990年代、ゲーセンや玩具屋、駄菓子屋の店頭で
「ストリートファイト」が行われていた時代の、アノ空気。

あれがただの時間と金の浪費ではなく、とてつもなく
愉しい、かけがえのない時間だったのだと
再認識させてくれる、そんな作品です。


つながる力、察する力、パクる力



で、また本筋と違うところで語ってみたいと思います。

当時のゲーセン文化を思い返してみて面白いのは、
ある種の「場」が出来ていたこと。
  • 当時、貼り紙なんかなくても、ローカルルールは
    いつの間にか把握していた
  • ネットもないのに技術的ノウハウがたちまち
    知れ渡っていた。パクりパクられ、を繰り返して
    いるうちに、一人では絶対に到達不可能な
    技術レベルに達する
  • 動きや戦術から、プレイヤーの腕前、ひいては
    性格(?)まで、何となくアタリがつけられた
    (気になれた)。そのおかげで、トラブルメーカーを
    事前に回避したり、場合によってはゲーセン友達ができた
  • ゲーセンのノートを介した、誰に届くか分からない
    或る意味不毛なコミュニケーションが、愉しく続けられていた
……といった、今考えると、どうやってやったのか、
どうしてそうなったのかが今ひとつ分からないことを
みんな自然にやってのけてたわけです。

まあ、プレーリードッグでもコミュニティを作って
言語で意思疎通しているくらいですから、これくらい、
人間様ならお手の物でしょうが、ゲーム脳もなかなか、
捨てたもんじゃないと思います。


  →7DE-001『動物感覚 アニマルマインドを読み解く』参照

妄想やゲームの中でとはいえ、我々ゲーマーほど
何度も弱きを助け、悪しきを挫き、世界を救ってきた
人種はいないと思いますし(笑)。

そうそう、無理矢理これまで読んだ本に関連付けるならば、
格闘ゲーム華やかりし頃、ゲームセンターという、
あの薄暗くてギスギスして不健康そうな(笑)「場」には、
それでも内田樹さんの言うところの「祝福」が満ちていたのです。

   →7DE-002,3 『呪いの時代』内田樹 & 『虐殺器官』伊藤計劃参照 

その場、その時、そのマッチングでなくては為し得なかった
プレイが目の前で展開したときの無言の賞賛(もちろんその
逆もあったりしましたけど(笑))。


あの場には、確かに「そういうもの」があった。


ソーシャルゲーム、ネットゲーム全盛の今、あの空気を妙に懐かしく
感じるのです。もはや、20世紀生まれの懐古趣味なのかも
しれないですけどね。

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