2014/12/17

第38&39冊 今も昔も超能力戦争だ! 『洗脳原論』&『性と呪殺の密教』 

オカルト系のネタが好きな人間として一度は
しっかりと向き合っておくべきだ、と思うのは、
やはりオウム真理教がらみの事件ですね。


平成生まれの子などにとっては
『どうやらそんな事件があったらしい』
という感じで、隔世の感がありますが。


さて、今回取り上げるのは、
そんなオウム事件がなければ書かれなかった
であろう二冊。

宗教における密教的な身体技法と教義の
「ねじれ」の問題、宗教の在り方についても
考えさせてくれる本で、続けて読むと面白いです。

 
洗脳原論: 苫米地 英人

 
性と呪殺の密教 怪僧ドルジェタクの闇と光: 正木 晃


『洗脳原論』は、オウム信者の脱洗脳で名を馳せた
(今は自己啓発本のほうで有名かもしれませんが)
苫米地英人さんの本。

洗脳のメカニズムとそれに対する脱洗脳のプロセスや
理念を、実体験を交えつつディベート理論やエリクソン派の
催眠技術などと絡めながら語っていて、面白いです。

この本の濃さに比べると、同じ著者の最近の自己啓発本は、
薄めに感じるくらい。



『性と呪殺の密教』は、仏教、チベット密教の研究者
として知られる正木晃さんの本。

セックスを通じて能力を開発していくという「性的ヨーガ」と
霊能力を用いて相手を呪い殺す「度脱(ドル)」という、
のちのチベット仏教では否定され戒められた技術を
使ってのしあがっていくドルジェタクの生涯は凄絶です。

インドでは凋落しつつあった仏教がチベットでいかにして
力を得たり、ヒンドゥー教と闘ったりしてきたか、という
あたりも宗教史が好きな人には面白いかもしれません。

ヒンドゥー教の神様が仏教に帰依したという見立てで
その力を逆手にとったり(シヴァ神→大自在天とか)、
ヒンドゥー教の神様の「天敵」を考案したり(閻魔大王
=ヤマより強い、という設定のヤマーンタカとか)、と
見ようによっては中二病の妄想合戦にも思えますが、
その妄想合戦でほんとうに人が死んだりするのが凄い
ところです。


その果てに、チベット密教、ひいては仏教、宗教の
在り方について問題提起して見せるという本です。


これらを読み比べると面白いのは、中世チベット密教の行法と
似た技術が洗脳/脱洗脳に用いられていることがよくわかること。

例えば、苫米地さんがオウム信者を脱洗脳する時の手法が、
正木さんの本でチベット密教の行者が敵を降していく際の
「霊能合戦」の手法と似ています。


そこで私は、昔から得意である抽象空間の視覚化、
さらに一〇年以上も訓練したディベート術を利用することにした。
変性意識状態への誘導は、気功師のように一切言葉なしなの
ではなく、言葉も使うし表情も使う。ただ私は、自分の中にできあがった
空間を相手にイメージとして示しながら話を進める。それが変性意識
状態の相手に伝わり、相手の視野のなかでも、同じような色や形が
ありありとイメージされているはずだ。(『洗脳原論』p78)
ドンナルワという名の密教行者が、ヴィクラマシーラ大僧院に
いいがかりをつけてきたヒンドゥー教の僧と、霊能をあらそった
ときのことである。ドンナルワが自らの守護女神として
ヴァーラーヒーを出現させて、外道が彼を殺害しようと
送りこんできた毒蛇を殺し、逆に相手を打ち負かしたところ、
外道が「それは自分の側の女神だ。なぜ仏教のほうに
あらわれたのだ」とひどく驚愕したというのである。
(『性と呪殺の密教』p61)

どちらも、乱暴に言えば、相手にありありと臨場感のあるイメージを
送りこんで「納得」させた側の「勝ち」ということです。

『陋巷に在り』の呪術合戦にも繋がる雰囲気がありますが、
現代の脱洗脳の専門家も、密教行者も同様の手法で
戦った、というのは非常に面白いです。

密教行者が霊能合戦をした時代と現代は、実はさほど
隔たっていない、ということなのかもしれません。

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