2016/02/09

第87&88冊 アダムとイブは楽園に帰ってくる? 『イスラーム文化』&伊藤博文もムスリムだった『一神教と国家』

「何だか中東の方ってガチャガチャしてるし、
イスラームの人たちはよく分からんし……」

……と思う方は、ぜひ。

まずはこちらから。


イスラーム文化−その根柢にあるもの



アダムとイブは楽園に帰ってくる?


私が面白いなァと思ったのは、『旧約聖書』にもある、
智恵の実を食べたアダムとイブが楽園を追放される
「失楽園譚」が、イスラームの聖典である『コーラン(クルアーン)』
にもあるけれど、その内容が『旧約聖書』とは異なること。


楽園を追放された二人は、神に赦され、楽園に戻るのです。


要するに、唯一神アッラーは慈悲深く、人間には原罪なんて
ものはない、ということが示されるわけです。



この本は、こんな感じで、キリスト教やユダヤ教との対比を
することで、イスラーム教の姿をあぶり出します。


著者の井筒俊彦先生は、20ヶ国語を習得し、中世イスラム思想を
イランの大学で教えていたこともあるという、おそるべき硯学です。


そんな碩学の本というと、難しいのでは……
と思われるかもしれませんが、さにあらず。


イスラームについてほぼなにも知らない聴衆に、
イスラーム文化がどのようなものかを解説した
講演が元になっていますので、実に分かりやすい。


そして、他との対比や、抽象化・図式化によって
イスラームの特徴を取りだしてくる技がとにかく
鮮やかです。


アブラハムに帰れ、という「古い」宗教


上に引いた「失楽園譚」からも分かるように、
イスラームは実はユダヤ教、キリスト教と同じ
神を信じているもので、実はキリストも、預言者
(神からの言葉を受け取った人)のひとりであることを
認めています。


が、神の声の受け取り方に問題があったので、
ちょっと間違いがある、その点は、最終の預言者で
あるムハンマドのほうが正しいんだ、と、そういう
見解なのです。


イスラーム教は、旧約聖書にも登場するアブラハム
(イブラーヒーム)が神に帰依していた頃の宗教が
あるべき姿であったとします。


ユダヤ教やキリスト教が「純正な形」で保存できなかった
アブラハムの「永遠の宗教」を、ムハンマドが元に
戻そう、と、そういう考え方であることが本書では示されます。


イスラームの寛容さと下心


日本でニュースを見ていると、イスラームは他の宗教への
攻撃が苛烈に見えますが、実はイスラームは、他の宗教に
帰依している人々に対しては寛容な宗教です。


イスラームでは預言者の教えに基づいて神を信ずる
人々を「啓典の民」と呼び、イスラーム支配下の領域では
人頭税を課税することはあっても、無理に改宗を迫ることはありません。


……というより、改宗されても、重要な税収源が減るだけ、と
この本では喝破されています(笑)。


さすがは商人出身の預言者が伝えた宗教だと思います。


そんな感じで、この本はイスラーム文化の構造をじわじわと
解き明かしていきます。今の中東を揺るがしている原因の
ひとつである、スンニ派とシーア派の対立も、アラブ系と
ペルシア系(イラン)の世界観の差に根差した、実根深くて
本質的なものであることも、この本を読むとわかります。


長きにわたるサウジアラビアとイランの仲の悪さも、
納得できるというものです(2016年2月現在で、両国の
関係はかなり悪いことを書き添えておきます)。


日本発、イスラーム原理主義


……で、もう一冊。

以前ご紹介した『イスラーム 生と死と聖戦』(第63冊)の著者である
中田考先生と、呪いの時代』(第2冊)内田樹先生の共著であります



一神教と国家 イスラーム、キリスト教、ユダヤ教



伊藤博文もムスリムだった


本書では最初に、中田先生がどうしてイスラームに帰依したか、
また、その信仰・生活の実際について、スポットが当てられます。

その中でも面白いのは、イスラーム教って、
教徒になるのは完全に自己申告制、入信の言葉を
唱えるだけでOKなんだ、という話。


中田 明治の元勲伊藤博文は暗殺される直前に、ロシア革命で日本に亡命してきたタタール人で井筒俊彦の先生としても有名なアブデュルレシトにイスラームの説明を受け、彼の前でこの「ラーイラーハイッラッラー」「ムハンマドゥンラスールッラー」を唱え、アブデュルレシトからムスリムと認定されています。 また先日、ツイッターでムスリムになった人がいるのですが、やっぱりこの「アッラーの他に神なし」「ムハンマドはその使徒である」を唱えただけです(p38)

伊藤博文もムスリムだった、という事実!!

いや、イスラムの考え方に感じ入って、その時に入信の言葉を唱えて、「これでムスリムだね」とアブデュルレシトに言われた、というだけらしいのですが、まあ、ルール上はムスリムになったと言えるわけです。

神と個人との契約関係だけで信者となることができるので、
ツイッターで宣言するだけでも、まあ、問題はないということですね。

人は領域国民国家による分断を超えられるか



『イスラーム 生と死と聖戦』(第63冊)でも論じられていましたが、
中田先生は、イスラム世界を統合&拡張することによって、現在の領域国家を
超えた「自由な世界」の実現を提唱しています。


が、現状は当のイスラム国家同士が衝突を繰り返しています。

内田 みんな自分がいちばん正しいと本気で思っていますよね。
中田 思ってます。自分が正しいと思うあまり、それ以外はみんな敵だという発想につながってしまっている。例えば、スンナ派の人間はシーア派は裏でイスラエルやアメリカと組んで自分たちと戦っているという意識です。逆にシーア派はスンナ派はアメリカの手先でシーア派のイラン・イスラーム共和国を滅ぼそうとしていると考えています。みんながそういう発想になってしまったら目も当てられないのですが、残念ながらその傾向がアラブ世界全体に広がりつつあります。
(中略)
内田 宗教戦争じゃなくて、宗派戦争ですね。
中田 ええ、それをやめさせるために、まずあなたたちがまとまりまさいと一所懸命、私は訴えているのです。(p196、197)

この本が出版された2014年よりも、2016年2月の現在は、なお状況は
悪化しているとすら言えます。


イスラームの教えの根本じたいは、かなりよく出来たものであることは
上にご紹介した『イスラーム文化』と併読するとよくわかるのですが、
一方で、人間は美しい理論に基づいてだけでは生きられません。


この宗派間戦争は、イスラーム国家の支配層が既得権益を手放せない
(=領域国民国家ベースの資本主義から抜け出せない)こととも
密接に関係があることが本書では明らかにされていきます。


イスラーム思想があるべき形で実践されれば、領域国民国家という
枠組みを超えて、人間を真に自由にする道になるのだ、という
中田先生のある意味アナーキーなビジョンは、豚肉を愛する私には
全面的に賛同できるものではありませんが(笑)、それでも、国家ありき、
資本主義ありきの我々の世界観に強烈なパンチを見舞ってくれます。


そう、この本は、イスラームの事を論じているうちに一周回って、
我々の世界はどうなっているのか、ということを明らかにしてくれます。


今の自分、ひいては世界のありように言い知れない違和感を感じる
方は、ぜひご一読を。

2016/01/23

第86冊 魔術師グルジェフの、探求と金策の日々『注目すべき人々との出会い』


注目すべき人々との出会い: G.I.グルジェフ



20世紀最大の神秘思想家とも言われる、魔術師
グルジェフの、自叙伝的な本。


自分に影響を与えた人々に焦点を当てて、自らの
探求の日々を振り返っているのですが、この本の凄い
ところは、その旅の苦労話の合間に、お金に困った話、
それをどのように克服したか、まで赤裸々に語っている点。


グルジェフが何十年もかけて旅をするにあたって、とにかく
行く先々でお金がかかるわけですが、彼は旅先で
スッカラカンになっても、全くめげません。


ニセ骨董品工房の技術を盗んでバザールで
一山当てたり、スズメに色塗って珍種の鳥と
偽って高値で売ったり(そして足がつく前に
逃げる)、もう手がないからと紙細工を
作って売ったり、蓄音器がまだ市民権を得ていない

エリアで、蓄音機で音楽を聞かせるビジネスを
始めたり……。


思索と探求の日々を支えるための経済的基盤を、
グルジェフは自らの才覚と行動力で常に新しく
創造し続けることができたわけです。


これが、「超努力」を是とするグルジェフの凄みであります。


部屋の鍵を複製して、持ち主に秘密でエジプトが砂漠に
なる以前の古代地図をこっそり複写したり、
日本の柔術と、フィズ・レス・ルーなる謎の武術を駆使して
人のケンカに割り込んだのが縁で、旅の仲間を得たり、と
ほんとうにこれは、ひとりの人間の人生に起こったことかと
呆れるほどの色々があり、全く飽きません。


神秘思想にはあまり興味ないんだけど、という方も、
一種の「働き方」を模索する本として読んでも面白いと
思います。オススメです。